はじめに

 平成26年夏、同居している親父が自宅の階段から転落し救急車で搬送され入院。
 その日を境に親父はアルツハイマー型認知症を発症。
 それは親父とオレと家族の生活を一変させる出来事だったのです。
 詳しくは下記に記しています。
 介護初心者のオレが親父のサポートに取り組む姿を綴っていきたいと思っています。


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2018年01月21日

家族間のコミュニケーション@


 こんにちは。オレです。


 遅くなりましたが新年明けて一発目の更新です。年末年始、オレはずっと仕事だった事もあり、親父は自宅に帰る事もなく施設で年を越しました。仕事がひと段落ついて家族みんなで親父を訪ねると、いつものようにニコニコと笑顔で迎えてくれました。


 正月といっても、経管胃ろうの親父はお屠蘇を飲むわけでもなく、おせち料理を食べるわけでもなく、いつもとなにひとつ変わらない時間を過ごしたようです。


 自宅の親父宛に来た年賀状を持って行き「○○さんからも△△さんからも年賀状が来てましたよ」と伝えると、「あぁ、そうですか」とつれない対応。話の内容は全く理解せずに本能的に返事をしているようです。今流行の『塩対応』とはちょっと違う、無味無臭の『空気対応』です(笑)


 オレの息子を指差して「ほら、孫もきてますよ」と言っても知らない人に社交辞令でもするような会釈をするだけ。ほんの数年前まであんなに可愛がっていたのに、すっかり記憶の中から消えているようです。


 正月過ぎたらすぐに親父の87回目の誕生日。プレゼントも一緒に持って行きました。ニットの帽子と膝掛けの毛布。

nit.JPG


 「お父さん、今度の誕生日でいくつになりますか?」と訊ねると「私ですか?30歳です」と57歳の強烈な鯖読み…いやいや、本当にそう思ってるのかもしれません。


 このような感じで、まともな大人としてのコミュニケーションは全く無理な状況。これはこれで可愛らしいのですが、若干の寂しさがあるのは否めません。


 最近、対大人の家族間コミュニケーションについて考えさせられる出来事がありました。それについて個人的な意見を次回書きたいと思います。

posted by オレ at 14:41| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年11月11日

もう一人のお父さん。そしてお母さん


 こんにちは。オレです。


 オレの嫁は、車で約4時間走ったところにある県の出身でです。女ばかりの姉妹で、全員離れたところに嫁いでいるので、実家にはお義父さんとお義母さんが二人だけで住んでいます。


 先日、そのお義父さんが亡くなりました。長く肝臓を患い、ここ2年は入院して、週一回の透析を受けていました。オレと嫁は親父の介護の中で時間を見つけては、3ヶ月に1度くらいの割合でお見舞いに通いました。


 お義父さんも最初の頃は元気で、病室で共通の趣味である野球の事について話していましたが、ここ1年くらいは、食事がまともに取れなくなり、徐々に体力が落ちて、お見舞いに行っても殆ど目を閉じて寝ていました。


 お義母さんは年齢が80に近いながらも、自分で車を運転して、毎日お義父さんの病室に。食事が取れなくなってからも、栄養価の高いジュースやお義父さんの好きなガリガリ君アイスを持って通っていたそうです。


 4ヶ月程前、お義母さんと一緒に病室に行った時、ずっと寝てばかりのお義父さんがたまたま目を明けて、ガリガリ君にかぶりつく姿が妙に可愛らしかったです。



 夏を過ぎた頃、溶体がかなり悪くなり、医者から「いつ亡くなってもおかしくない」と宣言されました。それでもお義母さんは嫁に対して「急変したら連絡するから来なくていいよ」と。娘に無理をさせまいという気遣いだったと思います。


 オレは仕事で動けませんでしたが、嫁は「今行かなきゃいけない気がする」と言って一人でお見舞いに行きました。その二日後、お義父さんは亡くなったのです。多分、嫁には『虫の知らせ』があったのでしょう。


 葬儀は家族葬でした。嫁は4人姉妹で、その連れ合い、孫、さらにひ孫が集まって、賑やかなのが好きだっお義父さんをみんなで送りました。


 病気で苦しい思いをしたのは可哀想でしたが、最期まで認知の症状はなく、家族とちゃんとコミュニケーションが取れ、89歳という天寿を全うしたお義父さん。大往生だったと思います。


 連れ合いを亡くしたお義母さん。悲しさや寂しさは当然ですが、それと同時に最後までお義父さんを看取ってホッとした気持ちもあるでしょう。


 2年もの間、毎日病院へ通いお義父さんの世話をして、心配して、高齢のお義母さんには大変だったでしょう。オレの立場から言うのもおこがましいですが、親父の介護をやってきた経験上、まずはお義母さんに「お疲れ様でした。頑張りましたね」と声をかけてあげたいです。


 お義父さんは強面の昭和の頑固親父然とした人でした。そのお義父さんが亡くなる直前にお義母さんに「今迄ありがとう。愛してる」と言ったそうです。本当に感謝の気持ちでいっぱいだったと思います。その言葉でお義母さんも苦労が報われたんじゃないでしょうか。


 オレにとってのもう一人のお父さん。ありがとう。そしてさようなら。


posted by オレ at 21:57| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年10月30日

5ヶ月が経過しましたA


 こんにちは。オレです。


 前回は施設入所後の親父について書きました。今回は現在のオレについて触れたいと思います。


 親父が入所してすぐに以前勤めていた会社から「復職して欲しい」と連絡がありました。オレ自身は、またいちから仕事探しをしなきゃいけないと考えていたので非常にありがたくお話をお受けしました。


 ただ、離職前のオレの仕事はほぼほぼ夜勤が中心。夜に家を空けている為に親父の異変に気づかずに認知症の症状を一気に加速させてしまったという苦い経験があります。それにここ一年程、週に何日か昼間の短い時間、就労支援施設でパソコンの技術指導みたいな事をやっていました。


 介護離職してから、親父の事でいっぱいいっぱいになりつつ、自分なりの生活パターンや人間関係も構築していた事に気づきました。 それらは継続させたいと思い、夜勤はお断りし、昼間の比較的楽な勤務をさせてもらっています。


 と、もっともらしい理由を付けていますが、本音を言えば、やはりこの3年間はキツかった。しばらくゆっくりさせてもらい、年明けぐらいから仕事に本腰を入れようかと思っています。


 とりあえず今は、自分が好きな時に出掛けられる、夜は何も心配せずゆっくり眠れるという『自由』を満喫しています。本当にこの事のありがたみは一度無くしてみないとわからないものだと思います。決して『あって当たり前』ではありません。偶然が重なり、色々な人達の助けがあってこそだと思います。


 これに気づけた事が、オレが3年間介護生活をした一番の成果です。ただ、数ヶ月してくると忘れそうになる事も。そんな時の為に、ここに記して、時折自分自身で読み返していこうと思っています。




posted by オレ at 15:00| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする